つみ

つみ実在じつざいなりや?』 とまたかさねて てん童子どうじう。
天使てんのつかいこたうる こえ きこえて いわく、
すべて真実しんじつ実在じつざいは、
かみかみより でたる もののみなり。
かみ完全かんぜんにして、
かみつくりたまいしすべての もの完全かんぜんなり。
しからば わん。 なんじつみもっ完全かんぜんとなすや?
とき てん童子どうじ こたえて いわく───
よ、 つみ完全かんぜんあらず』と。
天使てんのつかいまた たまう───
つみ 完全かんぜんなるが ゆえ実在じつざいにあらず、
やまい 完全かんぜんなるが ゆえ実在じつざいにあらず、
完全かんぜんなるが ゆえ実在じつざいにあらず、
なんじかみつく たまわざるものを 実在じつざいとなすなかれ。
らざるものを あく えがきて きょう すること なかれ。
つみやまいとは
かみ所造しょぞうあらざるが ゆえ
実在じつざい仮面かめんこうむりたれども
実在じつざいなり、 もうなり。
れは 仮面かめんいで
つみやまいとの 実在じつざいあきらかにせんが ためきたれるなり。
かつしゃ 牟尼むに 如来にょらいもこの ためきたりたまえり。
かつてイエスキリストも この ためきたりたまえり。
つみ実在じつざいならば
十方じっぽう諸仏しょぶつもこれを しょう めつすること あたわざるなり。
イエスキリストの 字架じかもこれを しょう めつする こと あたわざるなり。
されどなんじさいわいなるかな、
つみ 実在じつざいにして まよいかげなるが ゆえに、
十方じっぽう諸仏しょぶつ
しゅ じょう摂取せっしゅしてよく つみしょう めつしたまえり。
イエスキリストも
ただ言葉ことばにて 『なんじつみ ゆるされたり』と いてよく つみしょう めつしたまえり。
われもこと にて 『せい ちょういえうた』を かしめ、
こと ちからにて つみ本質ほんしつばく して
つみをして 本来ほんらいせしむ。
わが こと むものは
実在じつざい実相ほんとのすがたるが ゆえ
一切いっさいつみ しょう めつす。
わが こと むものは
生命せいめい実相ほんとのすがたるが ゆえ
一切いっさいやまい しょう めつし、
えて 永遠えいえんきん。

解題

「罪」とは実在するものなのか?という非常に不思議な問題提起。ここに至って、これまで、「実在」について、詳しく説明を聞いてきたことが理解の役に立ちます。

実在とは本当に存在するもの、消えてなくならないもの、感覚に映らないものです。そして、この節ではもう一つの性質として「完全性」を挙げています。「完全」なるものは、「神」それ自身と「神の造ったもの」だけであると言います。

「罪」が実在するための「完全性テスト」。「完全なる罪」というものが想定できない、ということを童子は言っているんでしょう。

「罪」というネガティブなものは、何等かポジティブな存在を対象として要求します。ポジティブなものがあるから、これを壊して「罪」を顕す。「壊れ」なんですよね。「完全な壊れ」というのは、もう矛盾しています。

病気もそうです。

健康な状態から、「壊れ」があると、病気になる。だから、病気が完全だということは無い。

病は実在ではない、というのはそういうことです。

「病人」というものは存在しない。

病人は、完全なる人間の機能の一部が壊れた状態であるだけ。この壊れ方の類型をxx病と言いますが、実際にxx病という実体がいるのではない。

「壊れ」を実在と見るのは、無理なんです。

ボートに穴が開いているので、頭にきた男は、のこぎりでその穴の周辺の板ごと、その穴を切り取ってしまいました。すると穴がなくなったので、もうボートは沈まなくなりました。

。。。これ、確か昔読んだケストナーの本にあった与太話ですが、「穴」「壊れ」を実体としてみてしまうと、そうなるんですよ。

病気も罪も「実在」ではないから、切り取れない。それは「壊れ」にすぎないんです。



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