無明

無明まよい

かく天使てんのつかい せい ちょういえにて うたいたまう とき
一人ひとりてん童子どうじあらわれて いを もうけて う。
ねがわくは 人々ひとびとのために、 人々ひとびとのさとりのために、 無明まよい本質ほんしつあきらかになしたまえ』と。
天使てんのつかい こたえて う───
無明まよいはあらざるものをありと 想像そうぞうするが ゆえ無明まよいなり。
真相しんそうらざるを まよいう。
かい 本来物質ほんらいぶっしつうちらざるに、
物質ぶっしつうちかい ありとなして、
あるいこれもとめ、
あるいこれより げまどう。
かかる顛倒妄想てんどうもうぞうまよいう。
生命せいめい本来物質ほんらいぶっしつうちにあらざるに
物質ぶっしつうち生命せいめいありとなす 妄想もうぞうまよいう。
本来物質ほんらいぶっしつこころうちにあり。
こころ物質ぶっしつしゅにして、
物質ぶっしつ性質形態せいしつけいたいはことごとく こころつくるところなるにもかかわらず、
こころをもって 物質ぶっしつ支配しはいさるるものと しん
物質ぶっしつ変化へんかしたがって
ゆう 懊悩おうのうし、
われとわが生命せいめい円満完全えんまんかんぜんなる 実相じっそうさとることを ざるを まよいう。
まよい真実しんじつ反対はんたいなるが ゆえ無明むみょうなり。
まよい実在じつざいはんするが ゆえ 実在じつざいなり。
まよい 実在じつざいするものならば
まよいより しょうじたる
ゆう 懊悩おうのうもまた 実在じつざいならん。
されど、 まよい実在じつざいきょなるが ゆえ
ゆう 懊悩おうのうもただ むべき あく にして 実在じつざいには あらざるなり。

解題

迷いと言うものを、無明とまず表現しています。明かりがないもの、それを迷いと言う。つまり照らせば良いんです。

具体的には、①無いものをあると思ってる、②真相を知らない、③快苦を物質の中にあると思ってる。、④生命は物質に支配されていると思ってる、という4種類の「迷い」を挙げています。

①②はいいですよね。「誤解」。これは光をあてて、真相が顕われれば解ける。③は不思議ですよね。快苦、というものは感覚です。感覚はこれまでのところ、本質ではない、実在ではない、と書かれてきました。だから、物質に感覚が付いているのは納得がいくところ。(物質も実在ではないので)

それをここで否定しています。これはどういうことか?

快苦そのものを実在ではないとしているのだと、(私は)思います。物質に快苦があると思うのは間違い。じつはその前に「快苦がある」と思っているのがもう、間違いということ。しかし、まてよと。

感覚 ∋ 快苦 (快苦は感覚の一種)

で良いのでしょうか?

感覚ではない快苦はないのかっていうことです。

単に快苦はまぼろしじゃ、で終わらないのが甘露の法雨のすごいところです。

感覚ではない快苦があるとすればそれは何か?

相互作用や条件によらずに快楽があるとすれば、それは、ア・プリオリな快楽です。実在が実在するということを喜ぶ姿です。この喜びは壊れない。外部条件が揺るがすことのできない快楽ですね。。。

一方、感覚ではない苦しみはあるのでしょうか?

有るとすれば、それは実在がその存在を苦しむことですが。。。

この続きを読んでいけば、そういう苦しみは否定されます。

我々実在は、本来的に苦しまないものなんですね。




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